どうも、崖っプチママと申します!


改めまして、崖っプチママです!


今日はこれからもブログを進めるにあたって、自己紹介をしようと思います!



崖っプチママ プロフィール


1996年富山県富山市出身の22歳です。


保育園年中さんぐらいの頃に両親が離婚。

そこから小学校に上がるまでは母の実家に住んでいました。

おじいちゃんとおばあちゃんが大好きで、その頃はよくおじいちゃん保育園の送り迎えをしてくれていました。

ただ、酒豪だったおじいちゃんは毎晩の様におばあちゃんと喧嘩していたため、母が間に入って幼い私のいる前で喧嘩ばかりやめて!

と力ずくで喧嘩を止めようとしたりしていたのをよく覚えています。一度私に殴りかかろうとしたおじいちゃんにママがめちゃくちゃ怒っていたこともあったぐらいおじいちゃんはお酒をよく飲む人でした。


そんな中、父と母の離婚をまだよくわかっていない状態で、もうパパの所には帰らないんだよという言い方で急な父との別れを告げられた事がショックだったのか、私は小児てんかんの症状であるひきつけを一度起こしました。


それから小学校に上がって、市営住宅で母と二人暮らしをするようになりました。

私は寂しがり屋で甘えたがりなのですが、母には上手く甘えられなくて、1人部屋もあったけれど、母が居ない時は宿題を終わらせて母の寝室でテレビを見て待っていたり、部屋の電気を全部付けていて怒られたりするような子供でした。

2ねんせいの後半ぐらいから、今の父を母が家に連れてくる様になって、母も今の父とすぐに仲良くなった私の様子を見て今までより楽しそうに見えました。

ただ、ちょっと出かけてくると言われてライブに2人で行った時、とても駄々をこねていた私に内緒にしていたっぽいプリクラの写真を見つけてしまった時は拗ねて怒って大暴れしました(笑)

あと、一緒に温泉に行った時に新しい父に一緒に入りたいと言っても入ってくれなくて、何度も温泉に行くたびにチャレンジしたのですが、結局一度も一緒にお風呂に入ってもらえませんでした。

ちなみに、それまでの間に月に一回ぐらいのペースで本当の父のところに遊びに行ったりしていましたが、再婚してからは二度と会わせないと母が決めたらしく、それ以降私は本当のお父さんには会っていないし、写真も残っていないのでもう顔も思い出せません。


小学4年生から新しい父の家に住む事になり、いわゆる二世帯住宅住まいになりました。

初めは、帰ってきてからもすぐおじいちゃんが帰ってきて誰かがいる状態なのが嬉しくてとても嬉しかったのですが、引っ越してから父と母が急に厳しくなって、結局1人部屋で寝る時も1人だし、今までしてくれていたことを母がしてくれなくなって、私はその時完全に母に甘えられるタイミングを失ってしまいました。


そこからは我慢ばかりだった気がします。

それは母も私も同じで、母の方がかなり無理もしていたのだろうと思います。

でも、増築して新しく私と父と母が住まう家を建てた時も、完成するまでに一緒に川の字で寝たいと約束したのに、結局1人部屋で一人で寝かされて、妹や弟が産まれた時も、毎回一緒に寝たいとお願いしたことがあったけれど、結局みんなで一緒に寝られたことなんて旅行に行った時ぐらいで、血の繋がっていない私からしたら疎外感でしかありませんでした…。

新築に住める様になって、しばらくして小学5年生の時に私は再びてんかんの発作を起こして病院に運ばれました。


それから3年間私は小児てんかんの治療のため薬を飲む様になりました。

中学卒業時には完治と病院からも診断され、無事高校受験も受けられました。


ただ、中学2年の時から私は恋人ができたのですが、相手が女の子だったため、両親の反発が酷く、産まれて来なければ良かったと思う事がしょっちゅうでした。

てんかんのせいなのかどうかはわかりませんが、私は大きくなる程に両親とまともに会話がしづらくなっていきました。

両親はもともと私に対して否定的な面が多く、何を言っても否定されたり夢を踏み潰される様な思いをするのがわかっていたので、会話中返事を急かされると頭が真っ白になってしまったり、言葉が上手く選べなくてたったそれだけでも怒鳴られたり自分の意見や想いが伝わらないことが日常だったので、今でも両親と面と向かって会話するのは怖いし苦手です。

手紙に書くと、信じられない、卑怯な伝え方だとか言われてしまうし、そこはあまり両親とは上手くやっていけないのかなと今でも思っています。


なんだかんだで専門学校まで富山県で過ごして、死にものぐるいで東京の就職先を探して、現在東京3年目です。

父と母が厳しかったのは私だけの様な気が今でもするけど、どちらも私を大切に育ててくれたことにはとても感謝しています。


ただ、私は自分みたいに寂しい思いや辛い思いを絶対に自分の子供にはさせたくないので、彼も中学から父子家庭で似たような体験をしている様なので、お互い絶対に幸せな家庭を築こうと話しています。



という事で、ザクザクっと思い出した事などをまとめてみましたが、私は今までこういう環境で育ってきました!

また、何か質問があればコメントください。

これからも、崖っぷち生活の様子や、妊娠についてなど書いていこうと思いますのでよろしくお願いします!



崖っプチ20代カップルが出産するためには?


どうも、崖っプチママです!


今日は、崖っプチママとして、パートナーの彼と頑張って行くためにわと彼で話し合っている内容や、妊娠初期の辛さを支えてくれている彼のことを書いていこうと思います!



「産むって決めたらやっぱり“お金”!」


貯金が多少あったとしても、まだ20代だとなかなか多くの貯蓄がある人は少ないと思います。ましてや、私と彼は貯金ゼロスタートなのでこの問題からはどうしても目を背けることはできません!


まず、産むと決めたら絶対に病院に妊娠確認以降の妊婦健診に行く日までに母子手帳を手に入れましょう‼️

母子手帳は東京なら区役所、地方は町役場なとで手に入るはずです。

母子手帳だけで何になるの?」と疑問に思う方もいるかもしれませんが、

母子手帳は、受け取る際に受診票と言って妊婦健診や出産までにかかる通院費を一部負担してもらえるクーポン的な存在や、

周辺の育児サービスについての紹介パンフレット、妊娠から出産までの身体について、詳しく書いてあるパパとママの教科書の様な冊子ももらうことができます!

初めての妊娠、わからないことだらけでもかなり助かる資料になります!

これら全てが無料で提供されるのです!

特に受診票は本当に金銭面で救われるので実際に妊婦健診二度目に血液検査を受けた際は25000円程かかる受診料が13000円程で済みました!

子供が大きくなってからの予防接種などが無償で受けられる大切な用紙なども入っているので、本当にお金で不安になって精神的にも落ち着かないなど、妊娠中なのに辛い思いをしている方はすぐに母子手帳を受け取りに行きましょう!




「妊娠中でも働かなきゃ!」


私もそう思っている妊婦の1人です。

今は彼の側で緩く落ち着いてできる仕事を続けていますが、やっぱり座って作業したり、リラックスした状態でお家で出来るようなお仕事をしたいなぁとも思っています。

でも、妊娠中に妊婦は本来安静であるべきだし、ただでさえストレスを感じやすく、目も疲れやすくなってしまいます。

そういった場合に急に体調を崩したり、ストレスが溜まってしまうと、働き先だけでなく、一番心配をかけてしまうのはパートナーさんだと思います。

私はパートナーの彼が妊娠発覚からガラっと今までのマイペースな出勤スタイルから一変してかなり詰め込んだ出勤に変えて、上司とも色々な話を進めてくれているので逆に、無理してるんじゃないかなぁと心配になってしまう時があります。

でも、やっぱり子供がいてもいなくても、社会人として働くのは当たり前だし、仕方ないんですよね💦


でも、お互いどうしても多少の無理はしないといけないし、彼的には私には安心して働けるところで無理なく仕事して欲しいようで…

私の働く先は彼と一緒に検討して決める事にしました!

まあ、私と彼は住んでいる所もバラバラで体調不良の時に彼が泊まりに来てくれるのですが、やっぱりお互いがどっちも納得できる行動をとっていないと色々考えてしまったり、すれ違いや喧嘩も増えてしまったり良くないので、自分でやりたいこと、職場をいくつか決めて彼と一緒に検討した方が私はいいと思います。




「辛い時、何が辛いか伝えること」


妊娠中、やっぱり初期はつわりに悩まされて眠れなかったり、急にトイレの回数が多くなって夜中に何度も起きて寝不足になっちゃったり、人それぞれ症状も色々なものが出ると思います。私は本当に初期のまだ妊娠の気付いていなかった頃「よだれつわり」なるもに知らぬ間に悩まされていて、寝ていたりすると大量のよだれが出てしまってそれが不快でストレスに感じたり、気持ち悪い時によだれがいっぱい出てきてさらに気持ち悪くなったりしていました。

特に、頭痛や腰痛、吐気にしても、「男性にはわからない」と諦めるのではなく、本当に辛い時は「頭痛が酷くて辛い」「理由もなく吐気が続いていて辛い」など、その時ちゃんとパートナーに伝えてみると良いと思います。

私の彼は、初めは全く何もできずにもたもたしていましたが、最近では自分で妊娠中の症状で検索して、こうしたらいいああしたらいいと私を助けてくれる様になりました。

本気で一緒に子育てしてくれるパートナーなら、絶対に力になってくれるはずです!

申し訳ない、迷惑かけたり心配かけたくないと思う気持ちもあるかもしれませんが、初めてで不安んなのは自分もパートナーもお互い様のはずです。

困った時は支え合ってこそ、これからも頑張って行けると思うし、ここで無理や遠慮をしてしまうと、後々後悔したり、自分だけ辛くなってしまうかもしれないので、妊娠中だけでなく、子育てが始まってからも、困った時はお互い寄り添って助け合える環境づくりもしておいた方がいいんじゃないかなと私は思います!


この記事を読んでくれているみなさん、実際に同じ体験をしたことがある、しているというみなさん、私も初めての出産で自分らしく毎日の感じたことをまとめている次第であります。

私は、妊娠しても自分らしく毎日を過ごせるなら幸せだなと思っています。

あまり母親になるから、とか考え過ぎないで、「私がこれからママになったら」という考え方で毎日を過ごしていけば心もだいぶ楽になるんじゃないかなと思います。



“両親の許可無しで出産する”


どうも、崖っプチママです!

今日もお腹の赤ちゃんは元気です!

最近だいぶお腹が出てきた気がしています!


今回は両親に反対されて中絶しろと言われてしまってもどうしても産みたい、そんな私が絶対に産むためにどうしたら良いと考えているのかを書いていこうと思います。





「両親に反対されたら絶対出産できないの?」


私が周りに相談した中で「絶対に両親も認めないと思うから両親が反対したら必ずおろせ」という風に言われたことがあります。

5歳ぐらい離れた先輩で、色々な経験をしている方なのですが、私はその人の発言対してちょっと正直引きました…。

だって、最終的には私と彼二人が決める事であって、他人からまで決め付けられる理由なんてどこにも無いのですから。

両親から反対されてしまったとしても20歳を越えていればもう大人です。

判断するのも、自分達でできます。


同じ事で悩んでいる方、すぐに中絶を考えなくても、もしかしたら大丈夫じゃないですか?

お腹に大切な人との赤ちゃんができたとしたら、すぐに諦めるだなんてできないと思います。

本気で産む覚悟が相手とできているなら、私はちゃんと出産できると思います!




「でも、お金も物資も用意しきれない…」


こんな事を考えて悩んでいる方もいるのではないでしょうか?

出産で60万ほどかかるし、マタニティーグッズも必要だし、産まれたら次は赤ちゃんの為の物を準備しなくちゃー!!!

確かに、赤ちゃんを産むとかなりお金がかかるし、貯金無しでは産めそうにない!って思ってしまってもしょうがないと思います。

ただ、住んでいる場所によって出産から子供が中学生になるまで、行政が積極的にママを支えてくれる場合があります。


崖っプチママの住んでいる所は東京都目黒区です。

区によって多少違いがあるかどうかはわかりませんが、実際にデキ婚したというお話を聞いた方が偶然にも同じ目黒区民の方で、その方は男性だったのですが、妊婦健診等のお金はほとんど苦労しなかったと言っていました。


東京の場合「〇〇区 出産 助成金」と検索すると出てきますが、目黒区の場合は出産後に42万円貰える制度があるので、私は彼とそういった行政のサポートのことを知って、出産までにお金をちょっとでも沢山用意して、後は強力してくれる周りの方に相談して、42万を行政から受け取ったら少しずつ返して行くことはできるのではないかと考えています。


他にも、母子手帳を受け取ると妊婦健診の時に使う受診票が配布されるので、母子手帳無しで診察を受けるよりかなり受診にかかる費用が変わります!

子宮頚がんの検査なども受診票がちゃんと付いているので、お金に対しての不安もかなり和らぎます。


実際に私もそうでした。

母子手帳を貰うまではこれからの受診料も払って行かなきゃいけないしどうしようといつも考えてしまい、つわりもストレスで酷くなってしまい、寝不足になる程でした(笑)

でも、区役所で話を聞いたり、実際に病院で受診票を使った時に、そのストレスは無くなりました。


さらに、目黒区の出産・子育て応援事業の方にアンケートを回答しに行くだけで育児用品カタログギフト一万円相当が頂けるそうです!


両親に反対されたり、貯金がないから出産を諦めようとしている方、一度行政の保健相談係などにお電話してみるなどしてみてはどうでしょうか?





「妊娠すると働けないし、貯金も結局できないんじゃないかと思うと不安…」


基本はママよりもパパになるパートナーがお金の方は頑張ってくれるのが当たり前だし、ベストですが、職業やポジションによっては貯金もない場合共働きで頑張らなきゃいけないと考える方も多いと思います。

でも、妊娠中でも働ける職場探しのコツを掲載してくれているサイトが検索するといくつも出てきます。

私もまだ妊娠初期なので、今はひとまず立ち仕事が多目だけど融通の利く彼のバイト先で一緒に働いていますが、そこは掛け持ちOKなので、シール貼りなどの座って作業できるようなバイトを探して始めたいと思っています。


ここで注意が必要なのは立ちっぱなしも座りっぱなしも良くないので、適度にお手洗いに行けたり、楽な姿勢で作業ができる仕事を選ぶ事です。

私が働いている彼と同じ雀荘も私は禁煙のフロアで働いていて、奔走で座れる事もあれば、特別忙しくなければ座って休んでいても上司が妊娠のことを知っていて応援してくれているので大丈夫な環境です。

妊婦に対して対応が悪い所はまず辞めておいた方がいいし、子供を保育園などに預けられるようになるまでに就活も始められると思うので、若くて貯金もないからと言って出産を諦めるのは本当にもったいないと思います!


パートナーが本当に前向きに一緒に考えてくれるのであれば、お腹の赤ちゃんを幸せにしてあげることはできるはずです。


デキ婚発言だけでおかしくなったと両親に言われた!


どうも、崖っプチママです。


今日は両親に結婚と妊娠についての意を伝える電話をした日のことについて書いていこうと思います!




「ママは応援するって言ってくれたのに…」


まず、私は先にLINEで母の方に報告はしていました。本当は会って話したいぐらいだったけれど、急に電話で話しても上手く説明できる自信もなかったので、冷静に考えられるように文章で送る事に謝罪の気持ちも添えて長文で打ち明けました。

その時の実際の文を載せておきます。


ママ、すごく大事な話があって、本当はちゃんと会って話したいんだけど、今はとりあえず文章で送るね。


4/3に妊娠していることがわかりました。

今私のお腹には妊娠3カ月と4日目の赤ちゃんがいます👶


順序が逆になってしまって、しかも変なタイミングで私もすごく混乱して始めは中絶を考えました。

でも、今の彼氏と相談して、私は産むことを決意しました。

勿論、半端な気持ちではありません。

大変なことも、ママとパパだけじゃなくて松本家のみんなにも心配をかける事なのは分かっているし、謝らなきゃとも思っています。

ただ、それでも産んで育てようと思う私の気持ちをとりあえず今伝えます。」


この時、母からは

「そうなんだ」

「おめでとう㊗️」

「まだまだ先だと思ってたから。」

ま、覚悟決めたんならなんとかなるよ。」という風に返って来ました。

その後の会話も深刻なことにはなったりせず、応援してくれる姿勢と私を元気付けて気遣ってくれている事が伝わってきて、私は嬉しくて画面越しに泣いていました。

しかし、そのあと事態はどんどん悪い方向へ進んで行ったのです…




「パパは怒ってるよ。」


後日、母から来たLINEには、母の方から父にこの事を話した結果父がかなり怒ってしまい、彼が挨拶に来たとしても絶対殴られるし、一度電話で話してみるべきなのではないかとの事でした。


その日のうちに連絡が取れるように両親に連絡をとってやっと連絡が繋がった時、父は電話でとりあえず私の話を聞いてから話がまとまらなかったようで、すぐに母に代わりました。

恐らくお互いスピーカーで通話していたのだと思います。

その時私も彼と一緒にいたので、彼も私と両親とのやり取りを聞いていました。




「今の二人だと生まれてくる子が不幸になる!そんな可哀想な子産んではいけない!」


私にも彼にも貯金が無かった事、彼が今フリーターですぐに正社員になれたとしても、父が彼の今の職業を気に入っていない事…。

私と彼の今の状況を聞いて、両親は私がお腹の子を産むことに対して反対しました。


彼は今までに高卒で就職して24〜25歳までに好きな仕事につけたら、それを続けようと決めてフリーターをしている人でした。

私が出会った頃は雀荘の店員をしていて、今では正社員の話も出るほど信頼されている人間でした。

タバコも仕事でしか吸わないし、お酒も飲まない人です。当然麻雀が否定される事も配慮して就活も考えてくれていました。

ただ、収入的な問題で私と彼はそのまま雀荘で働く事も間違いではないと決断して今回両親に伝える時もありのままを伝えました。


父はお天道様の下で堂々とできるような仕事ではないのに子供にそんな仕事をしていると自信を持って言えるのか?彼に言いました。

私は、小学生から麻雀に親しんで今見つけた本当に好きな仕事に自信を持って働いている彼に対してそこは非にならないと思いました。それに、彼だってまだ23歳です。これから別の仕事に就くかもしれないし、今の仕事だけで生まれてくる子供まで不幸になると決めつけるのはおかしいと思いました。

父は元々理学療法士でそこから看護専門学校に通って今年から看護師として働いています。

確かに雀荘で働いているのとは大違いですが、私は彼にだって同じく努力する覚悟はあるのを知っています。

「一生懸命働くのは当たり前」と母は言いましたが、彼が何のために一生懸命働くようになって、これからどうしていこうと考えているかなんてわからないのに、一方的に否定的な事ばかり言う両親に私はもう何も言う気になれませんでした…。




「あなたは東京でおかしくなった!」


母とのやり取りの間にこの台詞を何度も言われました。「当たり前のことができない上に良いことと悪いことの識別も無くなっている!」と言われました。

これはデキ婚に対する考え方だとか、そういう意味ではなく、今私が一人暮らしで契約している賃貸に妊娠してから彼が毎日側に居てくれている現状のことや、麻雀、避妊などについてのことなのかなと思いますが…

この言葉は流石に、東京で生活した事もない両親から言われたくないと思ってしまいました。

母も父も昔からすぐに悪い方へ決め付ける性格をしているなと思う事がよくあります。

これから変わるという発想は一切なしで話を進めるのです。

この時点で父と母は私には出産する事に対しての良い悪いも判断できないし、産んだとしてもこの先悪い方向にしか進まないと決め付けたのでしょう。

父からも母からも今回はよく考えておろしなさいと言われました。




父と母が私を大切に育ててくれた事、だからこそ厳しく、妊娠についても諦めるように言っている事はもちろん分かっています。

特に、私は父とは血の繋がりがないので、そんな私をここまで大切にしてくれている事には本当に感謝しています。


でも、私は今後私が健康な身体で妊娠できるか、今産まなくて後悔はしないか考えると、どうしても諦めることができません。

母は父(祖父)を亡くしたばかりでこんな事は言いたくないけれど、今回はおろしてくれと言ってきました。

私は絶対に嫌だと思いました。



みなさんは両親にこんな風に言われたら出産を諦めますか?

それとも何か別の行動を起こして両親を説得しますか?




22歳、崖っプチママになる!?

初めまして、崖っプチママです!


崖っぷちって、一体何があったの?!

そう思う人もたくさんいるでしょう。

私も22歳でこんな体験をするだなんて思ってもいなかったけれど、それだけ衝撃的な事が起こっているのでこれから記録していこうと思うのです!




「私、ママになっちゃった!?」


私がママになったことは、実は今年の4月3日に発覚しました。

本当に最近のことです!

検査薬の段階では中絶を考えたり彼との別れや色々考えて大暴れしました。

なぜ、そんなに私が混乱したかと言うと…


彼も私も貯金ゼロでギリギリ生活を送っていたからです!


周りからの意見も賛否両論で、自分は妊娠中で精神的にも不安定で、ストレスですぐ体調を崩してしまったり…

それでも私は最終的に出産を決意しました。





「どうして出産を決意したか…」


妊娠が発覚する前、私は夢に向かって個人的にアイドルもどきのような活動をしたり、イベント主催をしたり、ある事務所にスカウトされて登録してみたり、就活も始めようとしていました。

そんな中、母方のおじいちゃんが亡くなってしまったり…

色々なことがあって私はメンタル的にもかなり疲れてしまっていました。

「あぁ…これからどうしよう…」

そんな風に色々考えていた最中、体調不良と生理不順が続いていてまさかと思って検査薬を使ったら「陽性」!!

病院へ行く事に…


彼は知っていましたが、私は小児てんかんを持っていた事があって、一度完治しましたが、東京に出てきててんかんが再発してしまい、薬を服用していました。

その薬の影響が赤ちゃんに出ている可能性も高かったですし、家系的に産まれてから大きくなるまで発生しないような病気になってしまう可能性もあったので病院での診察結果次第では可哀想なので諦めようと話していました。

現代の医療は進んでいて、妊娠初期でも障害や健康状態がわかるそうで、私はそこで障害や成長の不備などがあったら中絶しようと思っていました。


ですが、

お腹の赤ちゃんは元気に成長していますとお医者さんから言われたのです!


私はその時嬉しくて泣いてしまいました。

それと同時に、今自分も若くて元気な身体のうちに、私が色々なことに挑戦している間もお腹の中で一緒に成長してくれていたこの子を絶対に産んであげたいと思ったんです。

この子は私に新しい希望と私と彼のこれからへの活力を連れてやってきてくれた神様からの授けものなんだと…


ですが、妊娠発覚から10日後私の両親に直接電話で妊娠のこととまだ紹介すらできていなかった彼のこと、今の生活状況を説明すると猛反対されてしまいました。

その時彼も私の両親と話をしましたが、私はその時、彼がやっぱり諦めようと言うのではないかと思うと悔しくて、お腹の子に本当に申し訳無くて涙が止まりませんでした。




「絶対におろしたくない!!」


私は電話が済んでから、彼にしがみ付いて大泣きしました。

「おろしたくないよ〜、絶対に産む!やだ!絶対に産んであげるって決めたんだもん!」

こんなに大泣きしたのはついこの間おじいちゃんが亡くなった時以来です。

まさか22歳にもなってこんなに大泣きばかりするなんて…

でも、彼は一生懸命私をなだめてくれて、両親には縁を切られてもいいの?本当に大変だけど、お金も二人で稼いでいかなきゃいけないけど、がんばれるの?などと優しく私に今までの話をまとめる時間をくれて、絶対に産むしか言わない私のことも優しく受け止めてくれて、色々策を練って二人でも必ず産まれてくる子を幸せにしようと言ってくれました。


ここから、私の崖っプチママ人生の始まりが決まったのです。




当然、賛否両論わかると思うし、親に従うべきだと思う方もたくさんいると思います。

ただ、私達にとってかけがえのない家族としてやってきてくれた赤ちゃんを決して不幸にしたりはしたくないし、何をしてでも幸せにする覚悟で私は出産を決意しました!

若いから、お金がないから、人はそんなにすぐには変われないでしょ

色々親からも理由を言われましたが、私達にはまだまだ未来も希望もある!

子供ができるから人生もう終わりみたいな言い方をされたりもしたけど、そんなの子供にとってもっと最悪な言葉だと私は思います!

私は、子供が出来てからも自分に出来る活動を続けるつもりでいるし、子供にも柔軟に健やかに育って欲しい!

同じ世代で同じような理由で中絶している方もたくさんいるかもしれない。

でも、私は逆にこんな歳で「諦める」なんてしたくないんです!


このブログは私がこれからも私らしく100%で生きていく毎日を記録するブログでもあります。

是非、いろんな方に私の生き方や価値観、母親になることについて、一緒に考えたり発見したり出来るきっかけなるようなブログになればと思っています。

世代、年齢関係なく沢山の方々に読んで頂けるようなブログになればと思います。


今回はここまで!